ドラゴンクエスト3 のリメイク版が発売になるということで、街は大騒ぎさ。いえ、そこまで騒ぎにはなっていませんけど。何度目かのリメイクだし。
でも初代、ファミコン版が発売になった時は大変な騒ぎでしたね。テレビでテレビゲームが大々的に取り上げられるというのもそれまでなかった現象です。
ドラゴンクエスト 1986年5月発売
ドラクエ1発売日は、普通に学校が終わって買いに行って買えた記憶。近所のディスカウントショップで入荷まで1時間くらい待たされて偶然居合わせた同級生とくっちゃべってたのをよく覚えています。
お互い顔は知ってるけど遊ぶグループも違うし、あまり話はしたことない。でも性格的にも見た目的にかわいくて好きだった。ドラクエ待ちで仲良くなれて幸せ。(アホか)
ドラゴンクエスト2 1987年2月発売
1 と 2 の間って半年なんだ。早すぎる!!!
2はもうブーム来てましたね。近所だと2割引、ビックカメラまで行くと3割引なので自転車でわざわざ遠征。子供には数百円の差は大きい。
そうしたら現地に着いたらもう「売り切れ」。えー売り切れなんてことあるのーとしょんぼり。でもせっかく来たからと店頭をうろついていたら、店員が「今から入荷します」とアナウンスして突然の大行列でパニック寸前でした(気持ち的に)。
無事入手できたのは幸運だったけど、どういう物流システムなんだよ、これ。
発売日に買えていなかったらしばらく難民化していたはず。ありがとうビックカメラ。
ドラゴンクエスト3 1988年2月発売
3 は「発売延期」したイメージあったけど、延期しても2から1年1ヶ月後なのか。当時の開発スピード速すぎる。
2で行列、学校サボり、カツアゲが社会問題化したのもあって、3は事前予約を店舗によっては受け付けていましたね。私は前回懲りたのでちゃっかりビックカメラで予約済み。謎の会員制度?みたいなのに入会しました。利用したのはそれきりですが。
とはいえ暇なガキ以外はそんなこととは知らず。発売日の大行列に再び巻き込まれていくのであった。子供本人はともかく、保護者の方はお気の毒にとしか。
余談
この頃は同級生とよくゲームして遊んでものです。大好きだった近所に住む友達(男)と年中遊んでた。子供あるあるかもだけど異常に距離が近くて。当時Gに目覚めていた俺としてはそっちの方面でもドキドキ。
ただ色々あって、友達としては好きだけど、性的行為はNGと断られてしまった。でもあそこ以外のボディータッチまではOKしてくれて。二人の時はいつもベタベタくっついてたものです。
文字にすると我ながら鬱陶しい奴だ。今のようなおっさんではなく、当時はピュアな子供がしたことなんで許してください。ほんと子供って自分の欲望に素直ですよね。今はとてもできない(←逮捕案件)
ドラゴンクエスト4 1990年2月発売
話は戻って。
4は3から丸2年。これも延期延期の印象あるけど、たった2年しか経ってないんですね。当時のゲーム業界の時代の流れの速さすごい。
4の記憶あまりないなー。普通に入手して、普通にクリアした……はず。
2, 3, 4 と1月2月発売が続くところが泣けますね。年末商戦に向けて開発を進め、でもどうしても間に合わなくてギブアップして延期したのが年明けに発売になりがちだそうです。
なので、無理に年末に間に合わせたゲームより、年明け発売の方が出来がいいという噂でした。なんとなくわかる気がする。
というか当時のドラクエ級にお化けソフトになるともう年末商戦に合わせる必要ないよね。「俺が発売したタイミングが商機だ」といえるレベル。
ドラゴンクエスト5 以降
5, 6 はスーパーファミコンに。個人的な話ですがこの頃個人的にメガドライブ(セガ)に熱心になっていてスーファミはしばらく買わず。なのでドラクエ熱も急激に冷めていったのでした。数ヶ月後に友達から借りて一応遊んだけどね。
そして、7 がプレステか?セガサターンか?でプレステを選んでセガは大打撃を受け。
5年に1作ペースに間隔が開き。
ネームバリューを生かしたスピンオフ作品で溢れかえり。
次がいつになるのかわからないくらいグダってきて今に至ると。
なんたって、初期の頃からもう40年経つわけですよ。
当時の若い才能が集まりエネルギー溢れる作品が、今や鳥山明先生(絵担当)が亡くなり、すぎやまこういち先生(曲担当)が亡くなり、堀井雄二氏もそれなりのお歳となり。
私も人生の残された時間が有限であることを意識するお年頃。
正直「またかよ」「何回めのリメイクだよ」と斜に構えていましたが、懐かしくも最新技術でリメイクされたドラクエ3を楽しむのもまた一興かもしれません。あの頃の熱を思い出して祭を楽しみましょう。
ということで発売直前ながらポチっちゃいました!!
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アスキー社「ログイン」「ファミコン通信」元編集部の「東府屋ファミ坊」こと塩崎氏が綴る、ファミコン初期からの80年代の記録。「オホーツクに消ゆ」「いただきストリート」といったアスキーのファミコン作品にもかなり関与していたんですね。知らなかった。
当時の若い業界ゆえの熱さと、その中で所々に予感させられるアスキー上層部の軋轢。そして最終幕は某氏のお葬式…
他にも三四十年経てば当然ながら既に故人の方もいらして。懐かしくもあり、祭りの後の悲しさもあり。当時のファミっ子としてはタイムマシンを開けるような感覚です。まさかこんなに泣ける作品とは思わなかった。
会社の上の方の揉め事って本当に面倒臭いですよね。現場の仕事に夢中になって忙殺されていた頃が、なんでもないようで幸せだったと思う。

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